パラサイト・イヴ

パラサイト・イヴ (角川ホラー文庫)

パラサイト・イヴ (角川ホラー文庫)

再読。
本書は「パラサイト・イヴ」の題名とは裏腹に、父性の物語です。利明のイヴや聖美への想い、吉住(医者)の麻里子への想い、麻里子の父の麻里子への想い、どれも非常に父親的な感情です。
反対に、母性は全く出てこない。父性は三種類も出てくるのに、対る女性陣は、聖美はおかざりだし、真理子は女性ではなく子供だし、浅倉は女性である前に研究者だ。
本書では女性はおかざりであり、それはミトコンドリアの「イヴ」も例外ではない。本書がSF「的」と言われるのは、「ミトコンドリア」の存在が、目的や思想もたいしたものでは無く俗的であり(私はこういうの好きですが)行動も都合が良い事が大きな原因だと思っているのですが、瀬名さんは「異種の知的生命体である」ミトコンドリアを書けなかったのではなく、「女性である」ミトコンドリアを、通り一遍的にしか書けなかった(もしくは書く気にならなかった)のではないだろうか。
もしもミトコンドリアが雄であったら、もう少し高度な目的を構築した生命体にしたのではと、そんなことを思いました。


多分、瀬名さん本人が父性がとても強い人だと思うんですね。以前、瀬名さんのSF界への一連の行動が話題になってた事がありますが、その時私は、やっぱり瀬名さんは父性が強い人だなあと感じました。そういう「父」的な言動が一時一部で反発を招いたのかな、とも。まあ、島田荘司さんといい、父的行動が強い人が同性から一時反発を招きやすいのは、心理学的な面からいっても仕方がないのかもしれません。


小説の感想に戻ると、人間ドラマが重層的で良く、特に麻里子のパートが優れてる。文章も上手くて読みやすい。小説と学術用語の幸せな結婚だ。
篠田節子さんの解説によると、小説として面白いミトコンドリアとの戦いが、SFとしては俗的なのだそうな?
うーむ、この下りを読んで、そういえば、岡嶋二人さんの江戸川乱歩賞をとったデビュー作「チョコレート・ゲーム」も、後半の、「人に追いかけられる」パートはあまり良く受け入れられなかったという話を思い出しました。「チョコレート・ゲーム」解説の中島河太郎氏も、"活劇まがいの箇所もあるが、構成力がしっかりしていて〜"と書いている。どうも「追いかけられ」たり、物理的な恐さで小説を盛り上げると、ジャンルとして評価されるにくくなるのだろうか? ”小説としての品位をそこなう”とか。私はエンタメ小説読みなので、エンタメ大好きなんだけどね。
まあ確かに前半と後半で、ややバランスが悪いかな、とは思います。
でも手に汗にぎるしリーダビリティが高く、面白かったです。