セリヌンティウスの舟

セリヌンティウスの舟 (カッパノベルス)

セリヌンティウスの舟 (カッパノベルス)

※ネタバレありで書きます。
初の石持浅海作品。最初に感じたのは、演劇的な設定だなあと。
次に感じたのは論理的に話を進める人だなと。ダイビング遭難の体験を語る事で、人間の感情をも一つの確定要素とする事に成功してると思った。「こういう出来事があったから、強い友情で結ばれているんだ」と言われると、「なるほど」とその前提をすんなり受け入れられる。
普通はこの小説のような状況だったら、どんな絆があろうとも、仲間を疑い出すだろう。人間の心は不確定要素だから。しかし遭難で出来た絆により、仲間を疑わない(仲間が裏切らない)事が前程となっている。不確定要素を限りなく確定要素として論理を進めていっている。そうか、この小説は久々の「論理パズル」を前面に出した推理小説なんだ。よし、心してかかろう、と覚悟を決めました。


――が、しかし……。
結論は、人間の心理を前面に押し出した結論だった。これは。うーん。ちょっと残念。いや結末には感心したし、こういう事もあるかなあとは思ったけれども、私はすっかり論理モードになってたので、感動するタイミングを失ってしまいました。
このように、ある意味心理トリックでオチるなら、もっと違う書き方はなかったのかなと。
論理パズルで進めていって、結末として人間の心理の盲点を衝いた小説は結構あるんだよね。ホワイダニットの解答がいけないのではない。ただ「ディオニス王」が誰か気付く所がまずい。「涙を流してた」というのは、想像でしか分からない。磯崎ってそんな事やりそうに奴には思わなかったもの。せめて「涙もろい」という伏線を上手く入れておくか(「伏線」とはこういう時のためにある!)、もしくは、「磯崎らしくない行動」が正体に気付く契機となっていれば良かった。たとえば部屋に古い大きな本棚があって、その本棚の方を向いて寝てたとか。地震があったら倒れそうな本棚の下では、頭の回る人だったら寝ないじゃない?(酔っ払ったら分からないけど)。 ま、これはいい加減な例え話だけど、そういう「論理的でない行動が一ヶ所あった」的な事実から協力者である事が分かるのなら、納得したんだけどなあ、おしい。
小説自体は面白く読めました。清美が主人公に惚れた場面は、確かにいいエピソードだ。