夜が終わる場所(クレイグ・ホールデン)

夜が終わる場所 (扶桑社ミステリー)

夜が終わる場所 (扶桑社ミステリー)

食事をとっていた警官のマックとバンクのところに少女失踪の無線が入った。マックスの娘も七年前に失踪していた。二つの事件は呼応し、絡み合いながら進む――。


インク瓶の色をした夜の底のような雰囲気にひきこまれました。最後泣きそうになってしまった。ただ悲しいわけではなく、何か圧倒的な黒い物に包まれたみたいで、本当、どうしようもない、と思った。本書では全ては明らかにされない。そういう所がもどかしいけれども、それが人生だと思うし、"自分で感じる"機会を与えてくれた。
本書を読んだ人が持つ感想は、きっとバラバラだと思う。感情のベクトルの方向は似ているだろうけど、個人的な色々なことを思い出すだろう。というか私がそうで、色々な事を思い出し、色々な事を考えた。そういう、"感情の余白"を、この小説は含んでいる。描かれない余白があちこちにあって、自分で埋めていく事ができる。埋めていかなきゃいけない。
文学的だけど、なかなかにストーリーテラーでもあった。徹夜本でしたよ。


しかしなあ、はあー。うーん。主人公めー。
暗い話だけど不思議と前向きになるよう励ましてくれる小説でもあった。手遅れになっちゃ駄目だよ、と言われてるよう。
海外ハードボイルドというと幼児虐待が多いけど、本書は切り口が違っていたのが良かった。
ストーリーを読ませる牽引力は、プロットの巧みさ、意外性というよりは、登場人物たちの不透明性にかかるところが大きかった。
ローズマリーの赤ちゃん」の、あれ? この夫って……いい人?・・っぽいけど、なんか変?・・・考えすぎ?・・あれ? というような。
本書の主人公のマックも、バンクもサラも、基本的にはまっとうな人間なのに、どこかが変。何かを隠してる。気のせい?でも……という不透明さ。腕の内側の皮膚の表面に透けて見える青い血管のよう。
一体ここには何が流れているのだろうか、のような。


構成を見ると、過去と現在が交互にあらわれ、そしてどちらも少女誘拐がからんでいるので、今読んでいるパートが現在なのか、過去なのかが分かりにくい。
そこは、もう少し工夫してほしかった。どうしたら良かったのだろう? と戯れに考えてみたのだけど、最初は、時系列にするか「1996年」、と年をはっきり書けばいいのにと思ったけど、それでは作者の意図を損ねるか、と考え直した。
たとえば過去と現在では季節を正反対にして現在進行系の季節は冬。過去の事件は夏。寒さにコートの襟をたて、雪を見上げたり、暑さに汗をぬぐって水がぶ飲みをしたりという、ちょっとした描写で読者に時間軸を区別するのなんて良いかなあ、と思ったりした。


ところで私がこの小説を買ったのは、装丁が気に入ったからです。飾っておきたい。扶桑社の写真装丁シリーズは、好きでさあ。カッコイイ。同じく扶桑社の「シンプル・プラン」の装丁もシンプル・イズ・ベストで、妙に私の心をとらえて放さない装丁でした。