美濃牛

美濃牛 (講談社文庫)

美濃牛 (講談社文庫)

読むの3回目です。相変わらず「視点の高さ」を感じました。
この小説内では全てが混ざり合っている。"悪人"と"善人"のみの存在はいなくて、両方の要素が同じ人に存在する。横溝的な古い村には都会的なゼネコンがやってくるし、起こるはずが無いと決めつけていた泉の奇跡は起こる。
反転、反転、また反転、永続性のある事象を徹底的に書かない。そういうのが殊能さんらしいです。


さて本書は、ディレイニーの「ノヴァ」の流れから読みました。
というのも私は、著者が「美濃牛」のシンボリズムや神話の流れを設定する時に「ノヴァ」……(というかディレイニーの作品全般)をイメージしたのではと思ってるのです。
同じくディレイニー著の「アインシュタイン交点」にはギリシャ神話や迷宮、ミノス王がメタファーとして出てきます。
「ノヴァ」では、出てくる単語には二重の隠喩が含まれてます。
ストーリーは聖杯伝説を下敷にした多重構造だし、タロットカードや多くの神話のモチーフが、登場人物の名前や地名に豊かに散りばめられています。
一方、美濃牛は、ミノタウロスの物語を下敷にして、天瀬(テセウス)、窓音(アリアドネ)代田(ダイダロス)らの登場人物が水面下の神話にそって動き、横溝世界のシンポリズムが至る所に出てくる。そして多数の引用。
ただディレイニーの場合は多重構造やメタファーに意図がある気がしますが、殊能さんは、手法を達成する事が目的で、意図や狙いなんて何も無いのでは? という気がする。結果はどうでもいいというか。
その差が大きいです。

上記の関連性に気がついたのは、殊能さんがディレイニーの小説を好きだと記述しているのを、昔の日記で読んだ時でした。その部分を探したけど見つけられない……。という事もあり、つい前記事で遊んでしまいました。


本書は深読みなどせず、普通に何度読んでも面白い。好きな本ですね。
今回一番面白かったのは、石動の俳句でした。
E=m2 秋の暮れ
妙にハマる。
句会で石動や古賀が作る俳句は、きっと「ハサミ男」で使われた「ティプトリー」や、「黒い仏」で使われた、歌の山の手線ゲームと同じように、事件を隠喩している(にせ者・すり替)んだろうね。真剣に盗作は駄目だよ石動、横着すな、古賀って怒ってからようやく気がついた(笑)


俳句といえば、

乱歩忌の劇中劇のみなごろし    月彦

が出てきて、おお、敬愛する藤原先生の句だ、と忘れていたのでまた驚いたり。
久々に藤原先生のHPに行ったら、ジャック・フィニイシェクリイブラッドベリなどを読んでるSF日記で嬉しい。私も好きな作家だ。
上の句の作者の藤原先生本人も美濃牛を読んでます。

 殊能将之著『美濃牛』を読了。衒学的なミステリだが、文章が巧いので
 気持ちよく読み進める。講談社メフィスト賞から出てきた新人の
 第2作ということになるそうだ。ゲーム性の強い新本格派の作品は
 どうしても動機やトリックの面が、つくりものめいていて、個人的には
 好きになれないのだが、この作品は動機などは、なんとか現実的にも
 納得できるレベルと言える。
 なぜ、この本を急に読み始めたかというと、俳人千野帽子さんから
 作中に藤原月彦の俳句が引用されている、と聞いたから。
 確かに引用されていました。

・乱歩忌の劇中劇のみなごろし  月彦

 石動戯作という作中の探偵役のセリフの中で、「メタ・ミステリ的な
 あじわいがある作品」という紹介のされかたをしている。

●うれしかったので、殊能将之の第一作で、メフィスト賞受賞作になる
 『ハサミ男』も買ってきて、読み始める。
http://www.sweetswan.com/19XX/2.html

なんかこういうの嬉しいので長く引用させて頂きました。
美濃牛の話に戻ると、本書では登場人物の中で、石動と窓音寄りの視点が無い。なので二人は非常に異質な存在に見えます。石動は発売当初に読んだ時は、得体が知れなくて恐かった……。次の作品であっさりと石動寄りの視点が出てきて、こういう人だったのかと別の意味で驚いたものです。
美濃牛で視点となる人物は、東京からきたフリーライター天瀬。警察の人々。凸凹コンビ藍下&出羽。あとは陣一郎が主かな。
他にも真一など視点がある人もいるけど、少ない。
ハサミ男」とは違い、基本的には”事件の外側”にいる人たちの視点ばかりで構成されています。
そのせいなのか、設定はべたなのに、変につき放している印象も受けます。
石動自体は、事件に突っ込んでいってるんだけどねぇ。でも石動が突っこめば突っこむほど、小説との距離を感じる不思議さ。これは作者自身が本書を突き放して書いているからなのでしょう。