闇よ、我が手を取りたまえ

闇よ、我が手を取りたまえ (角川文庫)

闇よ、我が手を取りたまえ (角川文庫)

題名を見て暗い暗い暗いノワール物を想像していたら、暗いといえば暗いけど、想像していた方向とは違っていました。
面白かった。洒落た会話。思わず感情移入してしまう主人公達。そして、ストーリー。
でも読んでる最中に、ああこういう世界がいつか日本にも来るのだろうか、と思うと、本当に暗い気持ちになってしまった。
小説の世界には、小説内倫理、小説内ステージが存在する。たとえば私は貴志祐介さんの「クリムゾンの迷宮」がとても好きだけど、これを読んで、現実の世界について憂うことはない。「新宿鮫」とか、馳星周さんの本を読んでも同じ。(時々現実のニュースがよぎる事もあるけど・・)ゲーム感覚のミステリーを読んでもそう。
国内の小説の場合、小説内でどんなに暴力がはびこっていても、まだかろうじてそのステージは、自分のいる世界とは違うステージにあると、無意識の内に思えてた。
でも、本書を読んでたらねえ……。


残酷な猟奇殺人、連続殺人犯がいるわけです。何十人も殺している、本当に人で無しな犯人と、それをどうにも出来ない社会、その世界がもう、すぐそこだ。すぐそこまで来ている。アメリカでは、すでに現実なんだと感じて、そしたら何かほんと色々考えてしまった。
この小説の世界、小説内倫理、小説内ステージは、ほとんど同じ場所に存在していて、やがて私のすぐ目の前来るだろう。あと少しで、いや、既に同じ世界の中を生きてるのかもしれない。
本書の世界では、人を殺すのは神になったようで楽しい、という感覚が普通に通っている。犯人側だけではなく、犯人・警察・主人公側三者側共にそう感じている、というのはちょっと怖いものがある。現実ではそうなって欲しくないよ、ほんと。


小説としては面白かった。かなりのリーダビリティの高さだ。しかしハリウッドっぽい所が、気になったと言えば、気になりました。元々映画っぽい設定ではあるけど。ストーリーにのめりこまされながらも、エンターテイメント系譜の最大公約数から抜け切れてないとも感じました。そこら辺はもう、かなりの要求なんだけれども。


恐ろしいのは、本書では唯一の銃反対派・暴力反対派の主人公の恋人が出てきますが、彼女が事件においては、何の役にも立っていないことです。精神的な支えにさえほとんどなっていない。読んでいてそこが一番怖かった。
どんなに残酷な犯人が出てきても、それだけで暗い、とか酷い世界だ、という訳じゃない。だけど、その世界に巻き込まれた時、暴力を選択しない人達が何の役にも立たない世界だったら、それは酷い世界だろう。
主人公達のように「殺されたら殺しかえす」の精神を持って、実際に銃を持ち立ち上がらなければ、何も解決できないのだろうか。本書では、そのような世界観が貫かれている。
特に顕著なのは、ラストのページ。抜粋すると、

"チョコレートをすすっていると、市長がより厳しい銃規制法の必要性を訴え、知事は銃規制法の執行力を強めようと訴えたとアナウンサーが告げた。(略)これで、いつの日かこの街は、失楽園前のエデンの園のように安全になるだろう。われわれの生活は、危険や、先行きの見えない不安から解放されるだろう。"


――解放されるだろう、なんて思ってない事は明らかな、凄い皮肉的文章だし。
この本は好きだけど、やられたらやりかえす、は今のアメリカの攻戦的な姿勢と、どうしても重なってしまいます。
そんな不幸な連鎖が起きる前に、最初の一撃を何とか阻止出来ないものかなあ。
阻止できるのは、もちろん、法律でも銃でも無いのでしょう。